2021.12.15(水)

9時に歯医者を予約していたので、急いで身支度をして出かける。

処置自体はすぐに終わり、9時20分には歯医者を出ていた。

さて。この後どうするか。今日は母の命日だった。

例年は仕事のことが多く、特に何をするわけでもなく過ごしていた。でも今日は歯医者以外何も予定はない。昨日からどう過ごすべきか考えあぐねていた。何かしなければならないような気持ちにさせられる。時間があるとその分余計なことを考えてしまうからか、すでに何となく気分が滅入っていた。

とりあえず喫茶店へ入る。コーヒーでも飲んでそれから決めようと思ったのだ。

開店して間もなかったので人も少なく、店内は空いていた。ホットのカフェラテのエスサイズ、と注文すると、店員さんに「この時間だとコーヒーに無料でトーストつけれますけどどうですか?」と笑顔を向けられる。以前同じような時間帯に来た時もこれ言われたなと思いながら、朝ごはん食べてきたので...と言わなくてもいいようなことを言いつつ断り、清算をする。

店の中央に8人掛けの大きなテーブルがあり、私のお気に入りの端っこの席が空いていたのでそこに座る。私に背を向ける形で座っている別のテーブルのおじいさんがスポーツ紙を広げていた。こちらにも見える「aiko結婚」の大きな見出しに、おお、と思う。ここで1時間ほど本を読んで過ごした。

さて。やはり昨日考えていたことを実行に移すことにする。

母が亡くなった時に家族で住んでいた家を訪れる。今までも予定のない命日は何度か一人で来たことがあった。訪れて何をするかというと、特に何もしない。することはないのだがとりあえず見ておく。本当にそうしたいのかどうかと聞かれると本当のところはよくわからない。誰に求められてもいないのに、そうすることで年々薄れていく記憶を少しでもつなぎとめようとしているのかもしれないし、罪悪感をごまかしているのかもしれないし、記憶を呼び起こすことで逆に自分をいじめているのかもしれない。

母が当時住んでいたマンションから飛び降りたのは、私が24歳の時だった。今から17年前になる。その日、私は異変を感じて仕事を休み、母と一緒にいたし、母がマンションの階段を登って行き、壁に足を掛けてよじ登りそれを乗り越えて、下に落ちて行ったその時も私はその場にいた。その場にいたのに。まさか本当に飛び降りるなんて思ってもいなかったのだ。なんてまぬけだったんだろう。あっという間だった。

24歳というれっきとした大人の年齢であったにも関わらず、当時の私は本当に精神的にも経済的にも自立しておらず、子供だった。子供である私を置いて母が自ら死を選ぶことなどあり得ないと本当に思っていた。

この日、自分は一生下ろせない十字架を背負っていくのだなと思ったし、今もそう思っている。それを確かめに行きたいのかもしれない。

当時よりもこざっぱりした印象のそのマンションの、外から見える範囲を何度も見渡しながら、本当にかわいそうなことをしてしまった、ごめんなさいと心の中で何度も謝った。マンションの前の小さな公園には、昔飼っていたセキセイインコのお墓もあるので、そちらにも挨拶をしておいた。なんとなく気が済んだ。

帰り道、駅の近くに神社があり、帰る道すがらふらふらと寄ってみた。大きなイチョウの木があり、時々風で割とたくさんの葉っぱが音を立てながら落ちていく。その様子が綺麗でしばらく眺める。鳩が一斉に頭上を飛んでいく。参拝する人、木に触って目を閉じる人、ベンチに座る人(私)。この神社はなんか昔から好きだったので、来てよかったなと思った。