2022.09.13(火)

今日もなかなかの暑さだったので、公園はやめてモスバーガーでお昼ご飯を食べた。

最近はなぜかハンバーガーを食べる気にならず、もっぱらライスバーガーの海鮮かき揚げを注文している。

休憩中に友人に仕事の件で相談のラインを送ると、早々に返事が来てありがたい。週末会う予定にしているので、その時にもう少し詳しく話せればいいなと思う。

今日の業務はひたすらアナログな書類作成。めんどくさいやろ〜と言われるが、こういう作業が好きなので許されるならこういうことをずっとやっていたい。

職場の近くに猫カフェがあって、その前を通ると窓辺でひなたぼっこをする猫が見られる。爪研ぎかなにかを枕にして、こちらに背をむけて寝ている猫のアウトラインが餅のようで、とても柔らかそうだった。そこに指をうずめたい。

夜はラジオを聴きながら、カトリックプロテスタントの違いを調べるなど。アメリカではプロテスタントの方が数が多いとは知らなかった。

カトリック→神父・聖歌

プロテスタント→牧師・讃美歌

(たまむすびの町山さんの映画紹介が、ペドロ・アルモドバルの「パラレル・マザーズ」だった。)

 

2022.09.12(月)

朝起きた時から仕事に行きたくなさすぎた。朝起きた時というかもう土曜日からだが。

上司の顔を思い出しては、ため息が出るし、胸が苦しい。こんな風に書くと恋しているみたいだが恋とは真逆、そんなものは何万光年も離れた惑星での出来事のように感じる。仕事仕事。みんなえらすぎないか。

仕事のことを考えるとドキドキ動悸が通常よりも激しく呼吸が浅い。これは更年期の影響もあるのかもしれないと思いつつ、よくない精神状態だと思う。

実際職場に行くと皆さんいい方ばかりで、別にパワハラセクハラに遭っているわけでもない。ただなじめないだけだ。ここじゃない感が強いだけ。

今後のことを考えて動き出さないと、このままだと心身ともに疲れ切ってしまう。非常によくない。

今日もお昼ごはんは人気のない公園で食べた。今日は残暑のせいか、1時間外で過ごしていると後半もう暑い。でも空が見える屋外で、風や日光を感じながら休憩するのは本当にリフレッシュになる。後半も頑張ろうと思う。(正確には耐え忍ぼう、と思ってるんだけど)

今日の晩ごはんは昨日のおかずがけっこう残っていたので、買ってきた焼売をチン!ですんで楽チンだった。鯖の味噌煮の残りを味噌汁にアレンジしたのが美味しかった。ニラとエノキ、チューブの生姜をインだ。

晩ごはんを食べながら、ふいに夫が、仕事はどうですかと私に聞いた。いつも通りにしているつもりだったけど、もしかしたら最近の私暗かったのかもしれない。ぼそぼそと少しだけ思っていることを話す。それだけでも少し気が楽になった。思い詰めすぎないようにしよう。

 

2022.09.11(日)

休日なので9時に夫と朝食をとる。

トーストにバターとマヨネーズとマスタードを塗って、レタスとハムとチーズをのせたもの、キウイを切ってヨーグルトをかけたもの、アイスカフェオレ。

食べながらアトロクの映画批評のコーナーを聞く。今週はジョーダン・ピール監督の「NOPE」。昨日観てきたところで夫とも鑑賞後に話が盛り上がった作品だったので楽しみにしていた。そうそう、馬で走るシーンが最高やったんよなぁ。来週は邦画の「LOVE LIFE」。

朝食後にシーツと敷きパッドと枕カバーを洗濯する。

身支度を整えてはみたものの特にすることもないので、昨日の続きの配信動画を見る。(ノンフィクションひそひそ話vol.7。今回も面白い。)

観終わってしまってまたやることがなくなったので、読みかけの本を読んだりうたた寝したりしてすごす。

土日のお昼は外に食べに出ることが多いのだけど、今日はあまりお腹が空いておらず食べたいものも特になかったので(私が)、家でうどんを作って夫と食べる。

食後は散歩に出た。夫を誘ったが行き先がカフェとわかると、ひとりでどうぞと言われる。寂しいような、のびのびするような両方の気持ち。

ネットで調べた中崎町のカフェに行こうと思っていたけど、この界隈は土日人が多く、

「この時間は混雑しています」の文字を見たら行く気が失せてしまった。

マンションを出てすぐのベンチに座って代わりのカフェを検索するけど、どんどんめんどくさくなってきて、なんだか泣きたいような気持ちになってきた。

かといって家に引き返すのも嫌だったので、おそらくそんなに混んでいないであろう以前行ったことのあるカフェに行くためにえいやっと立ち上がる。

スマホでラジオを聴きながら30分ほど歩く。

最近涼しい日が続いていたけど今日はわりと日差しが強く、風もそんなになかったので暑くて汗をけっこうかいた。

目的のカフェは程よく空いていて、なんだかほっとする。せっかく来たからチーズケーキも食べたかったけどおなかに余裕がなかったのでアイスカフェオレだけにして、本を読んだりしながら30分ほど過ごす。

西日が照っていてまだまだ暑く、商店街を通って帰った。

帰宅すると、ソファで夫が寝ていた。

この散歩だけでは一万歩いかなかった(ので、夜に追加で少し歩いた)。

 

片道書簡2022.09.11(日)

A子へ

お元気ですか。

私は新しい職場で働き始めて2ヶ月がたちました。

転職後すぐの頃は猛烈に前の仕事をやめたことを後悔する日々でした。

まず、お給料が安くなりました。(前の仕事だって決してお給料が良かったわけではないのに。)わかっていたけど、新しい環境と慣れない仕事のなかで毎日精神的にも肉体的にもへとへとになり、なのに前よりもお給料が少なくて、そのことを承知で決めた仕事だったのに思っていたよりもしんどく感じています。毎日ぐずぐずと「やめなければよかった、いや、前の職場にい続けるのは無理だったしこれは必要なことだった、でもな〜」などと、どうどうめぐりの思考が止まりませんでした。

そして、私は今までやってきた仕事を特別なことだと自負していたことに改めて気がつきました。それをやっている自分が好きだったし、長年続けてきたことがいつのまにか自分のアイデンティティになっていたみたいです。以前は、それしかできない自分に焦りを感じていたし、社長とはもう仕事をしたくないのに、勇気がないから会社をやめる決断ができない自分を不甲斐ないと思っていました。もっと軽やかに動ける人間になりたかった。でもそれを実現して新しい仕事についた今、まだ2ヶ月しか経験していませんが、私がやらなくてもいい、この場から私が今いなくなっても問題ないよな〜と感じます。(現時点で戦力的に役に立てていないのでまぁそれは当たり前なのですが)

前の職場に留まっていてもしんどかったと思うので未練たらしい気持ちは薄まりましたが、今後どうするか、何をすればいいのか、絶賛惑い中です。気持ちの切り替えがうまくできず、考えても仕方がないタイミングでずっともやもやうじうじ考えてしまってよくない状況です。動いてないから無駄なことを考えてしまうので、こういうときは行動して流れを生み出すのがいいと思うのですが、何をすればいいのかこれといったひらめきがなく、さらに間違えたくない気持ちが先立ってしまって行動するのも怖いめんどくさい億劫な感じです。

という感じで、7月からなかなか地味にしんどい日々を送っています。自分のだめなところや嫌だなと思っているところばかり見てしまう日々です。こういう時はとりあえず目の前にのことをひとつひとつ消化していくしかないと思って、お弁当を作ったり、ベランダを掃除したり、毎日一万歩歩いたり、使用済みのほったらかしにしていた油を捨てたり、本棚の整理をしたりして、ダークサイドに流れすぎないよう小さく抵抗しています。

今回は手紙形式にしたら書きやすいかなと思ってそうしてみました。暗い感じになっちゃってすまんね。

少し涼しい日も増えてきましたね(取ってつけたような文言!)お体に気をつけて。

ではまた。

 

 

2021.12.15(水)

9時に歯医者を予約していたので、急いで身支度をして出かける。

処置自体はすぐに終わり、9時20分には歯医者を出ていた。

さて。この後どうするか。今日は母の命日だった。

例年は仕事のことが多く、特に何をするわけでもなく過ごしていた。でも今日は歯医者以外何も予定はない。昨日からどう過ごすべきか考えあぐねていた。何かしなければならないような気持ちにさせられる。時間があるとその分余計なことを考えてしまうからか、すでに何となく気分が滅入っていた。

とりあえず喫茶店へ入る。コーヒーでも飲んでそれから決めようと思ったのだ。

開店して間もなかったので人も少なく、店内は空いていた。ホットのカフェラテのエスサイズ、と注文すると、店員さんに「この時間だとコーヒーに無料でトーストつけれますけどどうですか?」と笑顔を向けられる。以前同じような時間帯に来た時もこれ言われたなと思いながら、朝ごはん食べてきたので...と言わなくてもいいようなことを言いつつ断り、清算をする。

店の中央に8人掛けの大きなテーブルがあり、私のお気に入りの端っこの席が空いていたのでそこに座る。私に背を向ける形で座っている別のテーブルのおじいさんがスポーツ紙を広げていた。こちらにも見える「aiko結婚」の大きな見出しに、おお、と思う。ここで1時間ほど本を読んで過ごした。

さて。やはり昨日考えていたことを実行に移すことにする。

母が亡くなった時に家族で住んでいた家を訪れる。今までも予定のない命日は何度か一人で来たことがあった。訪れて何をするかというと、特に何もしない。することはないのだがとりあえず見ておく。本当にそうしたいのかどうかと聞かれると本当のところはよくわからない。誰に求められてもいないのに、そうすることで年々薄れていく記憶を少しでもつなぎとめようとしているのかもしれないし、罪悪感をごまかしているのかもしれないし、記憶を呼び起こすことで逆に自分をいじめているのかもしれない。

母が当時住んでいたマンションから飛び降りたのは、私が24歳の時だった。今から17年前になる。その日、私は異変を感じて仕事を休み、母と一緒にいたし、母がマンションの階段を登って行き、壁に足を掛けてよじ登りそれを乗り越えて、下に落ちて行ったその時も私はその場にいた。その場にいたのに。まさか本当に飛び降りるなんて思ってもいなかったのだ。なんてまぬけだったんだろう。あっという間だった。

24歳というれっきとした大人の年齢であったにも関わらず、当時の私は本当に精神的にも経済的にも自立しておらず、子供だった。子供である私を置いて母が自ら死を選ぶことなどあり得ないと本当に思っていた。

この日、自分は一生下ろせない十字架を背負っていくのだなと思ったし、今もそう思っている。それを確かめに行きたいのかもしれない。

当時よりもこざっぱりした印象のそのマンションの、外から見える範囲を何度も見渡しながら、本当にかわいそうなことをしてしまった、ごめんなさいと心の中で何度も謝った。マンションの前の小さな公園には、昔飼っていたセキセイインコのお墓もあるので、そちらにも挨拶をしておいた。なんとなく気が済んだ。

帰り道、駅の近くに神社があり、帰る道すがらふらふらと寄ってみた。大きなイチョウの木があり、時々風で割とたくさんの葉っぱが音を立てながら落ちていく。その様子が綺麗でしばらく眺める。鳩が一斉に頭上を飛んでいく。参拝する人、木に触って目を閉じる人、ベンチに座る人(私)。この神社はなんか昔から好きだったので、来てよかったなと思った。

 

2021.11.30(火)

今は19時20分。夫が当番なので食事の準備をしてくれている。

今日のお昼にコンビニへ行く道中のこと、壁際に沿って停められている自転車の奥に、横たわっている人を発見した。

手前にたくさん自転車があるので、初めは気づかなかったのだが、その人が赤いコートを着ていたので通り過ぎる直前にその色が目に飛び込んできて、人型を認識した。

えっ、とびっくりして躊躇してしまい、目を泳がせながらそのままスルーしてすぐそばのコンビニへ入ってしまった。でもめちゃくちゃ気になる。ピクリとも動いてなかったので死んでたらどうしよう。赤いコートにジーンズ、明るい髪色のパーマヘアだったし、女性かもしれない。どん兵衛とヨーグルトをそそくさと購入し、戻ってみるとまだいる。

恐る恐る声を掛ける。「大丈夫ですか〜?」

赤いコートの人は無言で微動だにしない。

「大丈夫ですかあ〜?」肩の辺りをゆさゆさ揺すってみるが全く反応がない。

声掛けとゆさゆさを繰り返す。それでも全然動かないので、手首にそっと触れてみると温かく、脈拍もちゃんとあった。よかった死んでない。

そしてどうやら男の人だ。小柄で色白、マスクでほとんど顔が見えなくて判別できなかったけどこれは男性だ。女性じゃなかったことに少しほっとしたけど、同時に今度は安全な人かどうかが不安になってくる。そしてちょっと動いた。

この時点でおそらく酔っ払いが寝ているだけと何となくわかる。

「お兄さ〜ん、大丈夫ですかあ〜?」とそこから10回くらいゆさゆさしても目が覚める気配がなく、痺れを切らしてきてしまった。そこまで気温も低くないし、う〜ん、まあ・・・大丈夫だろうと判断してその場を離れた。

しかしこういう時どういう対応が正しいのか。

先日家の近所で、自転車と共に道に倒れ込んでいる年配の男女二人がおり、何度話しかけても会話が不明瞭な上にずっと痛い痛いと連呼していたので救急車を呼んだのだが、救急隊員さんが来た途端にハキハキと喋り出し、「酔っ払ってるだけ!酔っ払って転んだところにたまたま自転車があっただけ!!」と言い出し、心配して見守っていた人たちは、それはよ言わんか〜い、と新喜劇さながらにずっこけていた。(心の中で)

そんなこともあったので、(おそらく)酔っ払いだし、救急車を呼ぶほどのことではなさそうだと判断してしまったが、よかったのだろうか。今更対応がまずかった気がしてきた。警察に連絡すればよかったのだろうか・・・

さすがに仕事が終わってから同じところを通った時にはもういなかったけど、何となくずっともやもやしている。

2021.11.18(木)

先月末くらいから、またキーボードを打つ練習をしている。

夜は眠いし、携帯を熱心に見てしまったり、お風呂に入ったりストレッチしたりと何かと時間がない。というかうまく時間を使えないので、朝に強い私は朝に活動することにした。朝に15分だけタイマーをかけて、タイピングのゲームで練習をする時間を作るようにした。まあまあ続いており、キーボードを見ないでも大体文字が打てるようになって来た。

そこでこのブログを思い出し日記も文字を打つ練習になるやん、といそいそと今キーボードを打っているわけだが、タイピングのゲームのようにはいかない。

ゲームはひらがなだけをひたすら打てばいいのだが、自分で文章を打つ場合は変換という作業を挟まなければならない。変換してエンター。ゲームでは句読点は打たないレベルの短文しかまだやってないので、点や丸を打つ時の指がわからない。中指か薬指か。ゲームで間違えた場合はそのまま続行できるが、ここではバツ印で消去し、打ち直し、再度変換しないといけない。消しすぎたり、変な変換をしてしまったりする。

というわけで、タイピングゲームだけではダメだということがよくわかったので日記もぼちぼち続けよう。何度めかの決意をまた新たにする。